Koichi Obata Miniature art  Gallery


                           

                                                風呂屋 「銭湯」         牛乳石鹸歴史資料館所蔵


     昭和の町並に癒されるのは 


 

 

貧しくても豊かだった昭和三十年台、 戦後の復興期を経て、高度成長期に至る時期であり、大量消費経済において


物質的に恵まれ始め、貧しくても元気で心が豊かだった時代、それが昭和という時代ではないだろうか  


今は物質的にも恵まれ、欲しいものは何でも買うことができる、ボタンを押せばご飯が炊けて、テレビも見れ洗濯もして


くれる、電話もポケットに入り持ち歩ける。わざわざ銭湯に行かなくても家風呂があり、楽になったでも考えて欲しい、


銭湯は風呂に入るだけでなく、地域の情報の交換の場であり人のふれあいの場であった、子供が走っていると知らない


おっちゃんやおばちゃんに怒られたし、赤ちゃんの育て方が分からない若いお母さんには、経験豊かなおばちゃんが


教えてたりもしていた、もちろん子供のあざなど見つけると、すぐさま親に事情を聞き相談にのりアドバイスをしていた。


幼児虐待があればすぐに発見できた。地域すべてが親となり子供や地域を守り育てていた、そんな人と人のつながりが


深く残っていた時代が昭和でありそれを彷彿させる のが昭和の町並ではないだろうか、確かに便利にはなったが、でも


本当に人々は幸せになったのだろうか?   便利=幸福なのだろうか、人の幸せとは人と人が触れ合うことで感じるもの


ではないだろうか。


東北の大震災では多くの人が犠牲になり、又数多くの人々が現在も苦境な状況にある。戦後の復興期と同じ状態では


ないだろうか、そのためには、先への希望と多くの資金が必要だろうがそれと同時に人と人との助け合い、ふれあいを


忘れてはならない。一日も早い復興と復旧を願わずにはいられない。

 

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かってはよく見かけた風情の有る門構えのあるお風呂屋さん、今ではなかなか見ることができない。


家風呂とは違いお風呂屋さんは体を洗うだけの場所ではなく、地域の情報交換の場であり、人と人


が集い語らい、それこそ裸の付き合いの場であった。


各家庭にお風呂ができ蛇口をひねればお湯が出て便利になったがそれと引き換えに大事なものをな


くしてしまったのではないだろうか、風呂屋は身も心も洗う場所なのかもしれない。


脱衣場の中心にあるテレビは、実際に動画が流れる仕組みになっている。ちなみに入り口掲げられた


「わ」と書かれた板は「わ」「いた」つまり「湯が沸いた」ということ、裏面はもちろん「ぬ」となっている。

 


 
  玄   関
 

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